黙っていればわからない その2

物件を見学したその場で購入を決めたAさん。

契約はいつでもOKということですが、購入に当たっては住宅ローン融資
が受けられることが条件です。

さて、一般的に住宅ローンの審査は、事前審査(仮審査)と本審査の二段
階で行われます。
事前審査は、あくまで仮の審査であり、事前審査が通ったからといって
本審査も承認されるわけでありません。

本来は、融資の確約を得て契約を締結したいところですが、本審査は契約
済みの売買契約書を添付しないと申し込みができません。

つまり、本審査より売買契約が先ということになるわけです。

そうすると、仮審査の結果を信じて契約をしたにもかかわらず、本審査で
否認されることもあるわけで、もし承認が否認、或いは承認は得られた
ものの融資額が減額された場合は、売買代金の支払いが困難になります。

その結果、買主は契約違反となり契約違反の責任を負わなければなりません。
(売買契約の解除ならびに手付金の没収)

そこで、登場するのが「融資特約」です。
融資特約では、万一、買主が予定していた融資の承認が得られなかった
場合は、買主は無条件で契約を解除することができ、契約成立の際に支払
った手付金を返してもらうことができます。

通常、住宅ローンを利用して購入する場合は、融資特約が付された売買
契約になります。

契約に先立ち、まずは住宅ローンの仮審査を受けることにしましたが、
Aさんの場合、収入や勤続年数といった個人情報関係についての障害は
見当たりません。

強いて挙げるなら、健康面で鼻炎の投薬治療を受けていたことぐらいで
すが、これが原因で団体信用生命保険に入れないということはまず考え
られません。

※団体信用生命保険
住宅ローンの返済途中で死亡・高度障害になった場合、本人に代わって
生命保険会社 が住宅ローンの残高を返済するというもの。
多くの民間金融機関はこの団体信用生命保険への加入を住宅ローンの
条件としてい ます。ただし保険料は銀行負担のため、保険料の支払い
は発生しません。

 さっそくAさんに源泉徴収票と健康保険証・運転免許証の写しを用意
していただくようお願いし、私は土地建物の登記簿謄本等、物件審査に
必要な書類の準備に取り掛かりました。

    いつものことですが法務局はあいかわらず混雑しています。
最近はインターネットで登記簿の要約書を取ることができるようになり
ましたが、謄本の原本は窓口での発行になります。

この日はいつも以上に混雑しており、結局三十分以上待たされましたが
渡された登記簿を見てなにやらイヤな予感が。

 この建物、一か月ほど前に増築されています。
増築登記の日付が、売主である不動産会社が物件を購入した日の後に
なっています。

売主は物件を取得した後、販売前にリフォームをしていますが、おそらく
その際に一部増築をしたのでしょう。

気になったのは建ぺい率オーバーのことです。

よもや、プロが建ぺい率を考えずに増築することはないだろうと思って
みたものの、心配でカバンから電卓を取り出し計算してみました。

この土地の面積は108.00㎡で建ぺい率は60%です。
そうすると1階の床面積の上限は 108.00㎡×60%=64.80㎡
になります。

しかし、登記簿に記載された床面積は66.80㎡。2.0㎡のオーバー
です。 わずか2㎡といえど違反は違反です。

 これでは住宅ローンは無理かも・・・

以前なら、この程度のことは金融機関も目をつぶってくれたものですが
昨今はどこも違反建築物に対して厳しい対応で臨んできます。

 早速Aさんに報告です。

 「こんなことで住宅ローンがむずかしくなんて聞いたことがないわ。
だって近所の人なんか無断で増築しているし登記もしてないそうよ。
違反建築と言うけれど、この程度のことは世間でいくらでもある話
じゃないの? 銀行にはそんなこと言わずに申し込んでよ」

 Aさん、購入に水を差されたと思ったのか、少しいらついているようです。

 しかし、たとえAさんの頼みでも、この件を金融機関に内緒にしておく
わけにはいきません。

とりあえず複数の金融機関には、この件を伝えた上で事前審査を受けて
みることにしました。

が、しかし・・・結果は判を押したように「お引き受けできません」の回答。

Aさん個人のことでは問題はないので、なんとかならないかと交渉をして
みたものの、そういう問題ではないと一蹴されてしまいました。

 「米本さん、なんとかならないの? この家、絶対に買う からね」

 気持ちはわかります。でも審査の対象にならない 以上どうしようも
ありません。

 「だから最初に言ったじゃない。黙って申し込みすればよかったのよ!
わざわざ言うから駄目なのよ」

  たしかに黙っていれば、気付かれずに審査が通ったかもしれません。

しかし、虚偽のローン申込をした場合、後日それが発覚した場合は、仲介
業者だけでなく買主であるAさんにも責任が及ぶ可能性があります。

場合によっては、期限の利益(※)を失い、ローンの全額返済を求められる
ことだってあります。

期限の利益
期限の利益とは、約定期日までは分割返済を継続することができる債務者
の権利の こと。しかし、返済が遅延したり虚偽の申込みが判明した場合は
この期限の利益 を失い一括返済を求めらる。

「わかった。よく考えてみるわ」Aさんの表情は明らかに不服そうです。

それにしても、この物件を買うとなれば現金での購入、或いは融資基準は
甘いけれど 金利が高いローン専門会社を利用するより、他に方法が見当た
りません。

それから一週間後、Aさんから連絡がありました。

「あれからいろいろ考えてみたけれど、お宅とは縁がなかったみたい・・・。
じつは、知り合いから紹介された不動産会社に相談してみたの。
そうしたら私と一緒のこと言っていたわ。『黙っていればわかりませんよ』
って。だから、その不動産会社に頼むことにしたの、悪く思わないでね」

この不動産会社、いったいどういうつもりなのでしょう。
もう、わたしが何を話そうが、Aさん、全く聞く耳を持っていません。

それ以降、Aさんとお会いする機会が訪れることはありませんでした。

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